よなは竜太郎 ブログ

好奇心だけで人生を愉しんでいるような道産子東京在住の気が付けば30代も後半です。

昼酒の東京人

東京に来て驚いたことの一つは、みんな昼から酒を飲んでいることである。

居酒屋や料理屋ならまだ理解の余地もあるが、缶ビールやパック酒を片手に路上を闊歩する老若男女が実に多いのだ。

私も酒呑みではあるが、酒は夜に家でゆっくりと飲みたいもので、別に白昼堂々と・・・あるいはコンビニのレジ袋でカムフラージュしながら周囲を気にしてまで飲みたくはない。何をそこまでして飲みたいのだろうとつくづく驚いたものだが、今となっては慣れっこになりつつある。

路上もそうだが、公共交通機関の車内における飲酒もしばしば見かける。夕方などは仕事終わりのサラリーマンと思しき男が缶ビールをやっていたりする。過去には満員電車の優先席に陣取って右手に柿ピーと缶チューハイを、左手に文庫本を手にして、起用に一人酒に耽る猛者もみたことがあってホトホト呆れたものだ。

私は大江戸線という比較的クリーンな線を使っていてもこの有り様なのだが、聞くところによると常磐線など東京の東を走る線では、乗客の飲酒は日常風景という。

しかし考えを変えると、東京は酒に寛容な街であるともいえる。実際に24時間営業の店はどの駅の近くにもあり、前を通りかかれば何時でも店内には酔客の姿が見られる。また、24時間営業でなくとも朝から開けて夜は早々に店じまいしてしまう大衆酒場も少なくない。その他の業態では、昼時にラーメン屋に入れば客が十人いれば必ず一人はビールを注文しているのも東京の日常風景である。

さまざまな生活様式と雑多な人種が混淆する東京ならではのニーズの上に、この街の昼酒文化は形成されている。そう考えると、昼から酒なんて・・・と冷たい視線を向けるのは早計であろう。我々が高いびきをかいている間に労働に汗していると思えば、彼らの昼酒にも寛容になれるというものなのかもしれない。

一方の田舎ではいまだに農耕文化に由来するムラの構造が色濃く、やはり昼酒はタブーに近い。農耕するうえでは横一列の集団が求められるわけだが、そこに昼から酒を飲む人間が出ると、やはりそれはイレギュラーとして排除するのが古くからのシステムだ。仮に飲みたくても夜まではおあずけ、という不文律がある。そういうしがらみのない東京という街は、呑兵衛の天国なのかもしれない。

行きつくは東京のそば

北海道から東京に転居するということは当然ながら飲む水が変わるということで、それに伴って食べるものも大きく変わった。

顕著なのはそばで、かつては全く興味を示さなかったのが、東京に来てからというもの、週のランチが7回あるなか、3~4回はそばということになっている。もっとも、加齢とともに嗜好が変わったということもあると思うが、やはり東京のそばは北海道のそれに比べて格段にうまい。だから店舗数だって比べ物にならないくらい東京は多い。

よくそばは江戸っ子のファストフードと謂われるが、この感覚は北海道にいるといまいちわからないだろう。

私は札幌でグルメ雑誌の記者などをやっていたので、取材と称してかなりのそば屋に出入りしたが、当地にあっての“そば屋”というジャンルは、重厚で気取ったものばかりだった。だいたい判で押したように和のしつらえの佇まいの古民家風と相場が決まっていて、店内にはJAZZが流れ、脱サラした親父がそばを自ら打って、注文してから30分くらいかけて焼き物の器で出てくる。味はきわめて平凡。それでもお勘定すると千円超えということはザラ。こんな店がスタンダードで、また人気もあった。当時の私としては、こんなものの何が有り難いのだろうと思って、すすんで食事に行くことなどなかった。

一方の東京はと言えば、かき揚げそばでも500円でおつりがくる上に、十分に旨いのだ。おつゆが辛口でキレがあり、麺も工場生産の大量品といえどもあなどれないほど旨い。なんでもかんでも手作りが有り難いと思う風習があるが、そばに関しては北海道の脱サラ親父よりも江戸で歴史を刻んだ製麺会社のプロダクトの方がレベルは上なのである。

少し話が逸れた。ともかく、東京におけるそばは早い・安い・旨いのファストフードであって、その競合ジャンルが牛丼でありハンバーガーでありラーメンとなる。反対に北海道のそばは和食のカテゴリに下層されるジャンルであり、職人技とか厳選素材とかいうコトバとの親和性が高いスロウフードと表現しても差し支えないだろう。

札幌では「粋」というキーワードを使ってそば文化を論じたがる訳知り顔のオヤジが実に多いが、これは田舎者の憧憬であり幻想である。東京ではそんな面倒なオヤジはおらず、みんなササっと啜って店を出て、それで終わりだ。

東京人のとんかつ好き

東京に来てから、散歩中によくとんかつ専門店を目にするようになった。

もっとも私が初めて住み着いたのは“とんかつ激戦区”として知られる高田馬場だったので、なおのことその印象が強いのかもしれない。

その高田馬場を例にとってみると、成蔵、ひなた、とん太・・・と思いつくまま挙げてもなかなかの軒数があって、そのどれもが行列をなす人気店なのだから驚く。札幌にもとんかつ専門店はないことはなかったが、百貨店やロードサイドに建つチェーン系が多かったように思う。かつての職場である狸小路にはすみだ川という個人でやっている古い店もあったが、別段、混むということもなかった。(つい先日、店を畳んでしまったと聞いた)

高田馬場に限らず、東京の街を歩けばとんかつ専門店はよく目にするので、やはりとんかつ好きが多いのだなと思う。

あるいは、とんかつを外食時に食べるという文化が発達しているのかもしれない。私もとんかつは好きだが、家で食べるものという印象のほうが強い。実家にいた頃は母が作ってくれる揚げ物レパートリーのひとつに過ぎなかったし、一人暮らしを始めてからは揚げ物は作らないのでスーパーの総菜として買うことが多かった。習慣として店で食べるということがなかったのである。

そんな私もつい先日、とんかつ専門店の暖簾をくぐる機会があった。

いま住んでいる南長崎におさむという店があって、居酒屋の飲み仲間がしきりに薦めるので行ってみた次第である。土曜を選らんだのが悪かったようで、大行列にはまってしまい、たかだかとんかつを食べるのに一時間以上も待ち時間を要してしまったのだが、結論として、待った甲斐のある体験だった。とんかつなんて家で食べるのも店で食べるのも大差ないと思い込んでいたのだが、とんでもない。あの軽やかな食感と舌上でほどけるような脂の味わいは揚げたてならではのもので、店主の微妙な匙加減(揚げ加減)もあって、それはもう絶品だった。

とんかつ好きな人の多い東京だけあって、一家言ある人も少なくない。揚げ加減だけでなく、やれどの銘柄豚であるとか、揚げ油の種類はなんだの、パン粉がどうした、キャベツの刻み方がこうした・・・と、突き詰めるときりがないようだ。

食べ歩きと言うとせいぜいラーメンくらいのものだったが、東京では「とんかつの食べ歩き」というジャンルもそれなりの市民権を得て成立しているようなのである。